第15回 「文楽」鑑賞会
コロナ禍前の令和元年7月以来3年ぶりに、文楽鑑賞会を開催しました。開催するに当たっては、1月の宝塚歌劇鑑賞会同様、
コロナ感染に対して万全の注意を払いました。当日は会員の家族、友人を含め29人が参加しました。
日時:   7月17日(日) 
会場:   国立文楽劇場
演目:   「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」
      北新地河庄の段
      天満紙屋内の段
      大和屋の段
      道行名残の橋づくし
この「心中天網島」は享保5年(1720年)、大阪網島の大長寺で実際に起こった紙屋の主人治兵衛と曾根崎新地の遊女小春の
心中事件を題材にして、事件後わずか2ヶ月足らずのうちに近松門左衛門が作り初演となった世話物で、近松作品の中でも特に
傑作と評価されています。
実は、今回で第15回を数える文楽鑑賞会の初回は今から16年前の平成18年11月に開催されましたが、その時の演目がこの
「心中天網島」でした。
http://www.kinki-soushoukai.org/06bunraku.htm






従来、HP担当子は鑑賞報告に、感想としていろいろ「つっこみ」を入れておりましたが、伝統ある芸術作品に対して、
そのような態度はいかがなものかと反省し、今回は「重箱隅右衛門」の論評は封印することにしました。
しかし、主人公紙屋治兵衛のあまりの自己中ダメ男ぶりには、あきれ果てる思いで、この点では松本会長の閉演後の
第一声と一致しました。またそのような夫に対して、犠牲的な献身を尽くす女房のおさんのけなげさに、大いに同情の
念を禁じ得ませんでした。
また、参加者の中で、小泉勝是さん(14期)からは、「日本の伝統文化の一つである文楽の人形遣いや太夫の繊細な技を
上手く保存し、シニアだけでなく、若者や子供たちに伝えて行かねばと改めて感じました。」との感想も寄せられました。
その通りだと思います。

最後に余話をひとつ。HP担当子は、近年小泉八雲について関心を深めているのですが、日本の文化を外国に紹介していく上で、
このような近松作品に対しては八雲はどのような考えであったかに興味を持ち少し調べてみました。
すると、八雲が東大を解雇されて早稲田に移ってすぐ、坪内逍遙に「西洋の読者のためにどのような日本の演劇脚本を英訳して
紹介したら良いか、適当な作品を推薦していただきたい」という手紙を送っており、それに対して、坪内逍遙は喜んで、
最初にこの「心中天網島」の翻訳を熱心に勧めました。
しかし、八雲は「西洋では理解されにくい・・・・・・イギリスの読者にとって心理的に数千年もの隔たりがあるような社会の
情感あふれる生活を、いかに感得させるかが難しい」として、消極的だったようです。
HP担当子が思うに、「理解されにくい」という理由よりも、八雲自身の少年期の不幸な体験と生来の優しさから、
「妻ヤ家族泣カスノ男、私ナンボウ憎イデス コノ話、翻訳スルノ気持アリマセン」という心境からだったのではないでしょうか。
このあと間もなく八雲は他界します。もっと長生きして、八雲の意に沿う演劇作品を翻訳し海外に紹介してくれたらよかったのにと、
逍遙ならずとも残念に思います。
以上は、「坪内逍遙と小泉八雲 関田かおる 国文学43巻8号」を参考にしました。

これまでの鑑賞記録は下記をご覧下さい。
鑑賞記録